フキマロウ

フキマロウの日記です。

坊主

そこの真ん中にドアどうしたんでしょうね鍵どうしたんでしょうね壁どうしたんでしょうねそしてどうなんだろうねこうたろうねっていう風にイエスと花復活の話でもちきりだった彼らの話の彼らが円陣を組んで話してるその真ん中に突然餌が現れと表れないですね。 なぜ取られるのですかどうして心に疑いをが起こすのですかとはじめこれが復活の体の家なので確かに出たいだけではなく体を持っておられるでもその体はどうも私たちの体とは違うようであります。 先ほども口に物に蘇らせられとあります。 けどもどうも私たちの口いるこの体とは違うでも私たちのこの体のように肉や骨がある食事まで出来るそして触ることもできるそういう体なのにでもこの唇からだとは違うからだこれが復活の体です。 そして44節さてそこでイエスは言われた私がまだあなただとと一緒にいた頃あなたがたに話した言葉はこうです。

本仏

分かりやすく言うとですね。 今皆さん座ってます。 がさあ皆さん幸せになりますよ。 立ち上がりましょうっていうよりも私が一言主だと叫んだら皆さんにハット勢いよく立ち上がるんじゃないんでしょうかね幸せになりますよ。 って言ったらゆっくり立ち上がったり立ち上がらない人もいるでしょうかは死ぬのって言われたら恐怖の 鬼は人間はいち早く飛びついてさっさと行動を動かす行動するんだそうです。 だから私たちは気をつけなければなりません。 情報が両方大事なのに私たちは恐怖にだけ心が乱される危険があるということです。 ペテロも同じように2/3は聞いたけれども最後のまとめの部分皆さんまとめの方が大事なんじゃないですか結局どうなったかの方が大事なんじゃないんですかでもまとめの部分を聞き漏らしたらそれは聞いたことにならないだから神様は何回も何回も繰り返し十字架の話をしたら復活の話をしてるんです。

石観音

本当にありがたいお言葉だとちょっと気になるね一人も滅びることなく愛されてるんだうれしいなうれしいなだけじゃなくって滅びることなくっていうことは滅びがあるということですね。 今のままでは滅びてしまうこの御子イエス様を信じるものが滅びることなくって書いてありますから信じなかったら滅びてしまう今のままで信じていなければ転んでしまって聖書なんか聞いたこともない読んだこともないっていう人がですね。 この聖書の言葉を読むと滅びてしまうシーンで滅びるそうだね。 寿命がきて死んだらそのまま心臓止まって呼吸も止まって死んじゃうんだよねそして麻央葬式で火葬されてお墓に入ってまーでも 天国に行くんじゃないのなんか勝手に天国に行けるんじゃないのって思ってる人が本当に多いですね。

賛美

本当に私たちは賛美の

神様に触れ合うことができますね。そして20節にはいつでも全てのことについて私たちの主イエスキリストの名によって父なる神に感謝しなさいとかありますね。賛美して感謝すると御霊に満たされることができます。御霊に満たされるとます。ます。ハンディしたくないって感謝の気持ちが溢れてきます。これどっちが先でどっちが部下とわかんないぐらいですね。心が塞いでむしゃくしゃした時に耽美してそして感謝を始めるとみたかみ誰もが別に心に溢れてくるのがありますね。感謝するもうかんしょうですね。始めは感謝し慣れてないと感謝って何かすることあるかなーって思うんです。けれども感謝されてないとこんなの感謝することが当たり前だろ元気のことを当たり前だろ家族がいるって事当たり前だ

ろうなって思うんです。けどもいやいやいやま自分で寝てる間心臓動かしてるわけでもない寝てる間呼吸を自分でしてるわけでないとに守られて私の命っていうのは与えられてるんだなぁと思うと生きてることもある会社健康与えられていること感謝そして出会いがある家族があること感謝